大阪でシンデレラになった話 ①


夜中2時ごろに帰りました

普段は23時から24時までには寝てしまうんですが。。。

岡山・美作のかしざき整骨院・整体院 柏崎武紀です

昔はね
朝まで遊んでも
仕事に出れば何ともなくフツーに動ける
そんな時代が懐かしいな~と最近思いましたね

なぜ
明日も仕事にもかかわらず
平日のど真ん中の水曜に午前様になったのか?

僕が今住んでいる
岡山の美作に移住する前

10年前です

大阪の池田という
大阪府の北部にある町で育ちました

僕はその池田で
20代前半の頃に

天涯孤独になりました
血の繋がった親も兄弟もいない状態です
父は蒸発し
女手一つで僕を育ててくれた母はガンで急逝
親戚の叔父にも裏切られ
過呼吸で倒れるほどの経験をした時期です

そのころ

僕は今の仕事に就きながら
学生をしていました
いわゆる修業時代です

収入は年間100万程度
月に換算すれば月収10万あるかないか

そこから
家賃、光熱費、通信費、学費などを支払うと
残るお金はほとんどありません
当然貯金なんてできません

電気を止められる事なんてしょっちゅう
お金払ってなかったから当然です

平成の時代に
ロウソクで勉強ですよ(笑)

じゃあどこから
お金を絞り出すか?

当時の僕
稼ぐ事より
削る事でしかお金を作れません

一番削りやすかったのは
『食費』

食費を削って
支払いに回します

だからご飯が食べれない日もでてきます

晩ごはんが
チョコバット3本って日が何日も続いていました

ちなみにチョコバットってこれね↓↓↓

駄菓子屋で売ってる
1本10円のお菓子

当たりつきなんで
当たったら晩ごはんが増えるのと同じ(笑)

そんな頃に

『お金なんかいらんからご飯食べにおいで』

そう言って
僕にご飯を食べさせてくださったお店ががありました

ちゃんこ鍋・大阪場所


腹いっぱいのご飯と
おいしいお酒を飲ませてくれました
お金は一切取らずに

そのお店が今月21日を最後に
30年の歴史に幕を閉じることをフェイスブックで知りました

そこで急きょ連絡を取り
10年ぶりに故郷のこの店に戻る事にしました

この10年大阪には帰れど
地元には
ほぼ立ち寄ることはなかったんです

訳あって10年前に別れを告げることなく
僕は地元・池田を離れました

簡単に言うと
誰も信じれない状態

僕を守ってくれている同級生の友達でさえ
どう接していいかわからなくなっていました
多分人間不信だったんでしょうね

信じれるのはわずかな友達と
当時の彼女(今の嫁さん)だけ
バカでしたよ

そんな状態で
わずかな方にしかきちんとした別れせずに
大阪を離れたんですね

でも
きちんとした挨拶もせず出て行った僕が

どの面を下げて帰ればいいのか
迷っていました

それでも
連絡しました

すると、、

『ええから。帰っておいで!』
『みんな会いたがってるで!』

女将さんのひとことで帰ることを決めました

そして
美作での仕事を早めに切り上げて
池田に戻り ちゃんこ鍋・大阪場所へ

そこには10年ぶりに会う
先輩・後輩そしてこの10年で増えたその家族が待っていてくれました

長くなったのでつづきは
また明日にします

最後までお読み頂きありがとうございました

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